この度は「ふくふく本舗」にご来店頂き誠にありがとうございます。
私は「ふくふく本舗」リーダーの眞子健太と申します。
2015年現在、30歳のまだまだ若輩者でございますが、せっかくあなた様とのご縁を頂きましたので、この場をお借りして、私の自己紹介と「ふくふく本舗」で働くことになった経緯をお話させて頂きます。
少しさかのぼりますが、ちょうど私が大学二年生、成人式を迎える年の冬のこと。私は、福岡の大学に通い、一人暮らしの生活を謳歌している時期でした。年明けの一月四日の早朝。突然、父から電話がありました。
母の横で寝ていた父が、突然の異変に気づいたそうです。何も喋らず、うつ伏せの状態で、足をバタバタさせていたそうです。母は「脳梗塞」でした。
私は父からの連絡ですぐに実家に戻りました。私が母をおんぶして車に乗せ、父が車を運転して近くの病院へ
医師はろくに診察もせず「うちでは分かりません。」と言い、別の病院を紹介されました。
紹介された次の病院では長時間の診察の末「うちでは脳梗塞の手術はできません。」と断られました。
それから二つの病院をたらい回しにされ、結局、福岡市内の救急病院でその日の夜中に手術となり、翌日の朝方、ようやく手術は終わりました。
しかし、術後も予断を許さない状況が続き、集中治療室で経過を見守る日々が続きました。
その異変から一週間後がちょうど私の成人式。
市内の大ホールで式は執り行われました。母は、倒れる前、私のスーツ姿を楽しみにしてくれていました。もしかしたら今日だったら意識が戻っているかもしれないと勝手な淡い期待を抱きながら、一番に病院に向かいました。
ですが、母の意識は戻っておらず、指先すらピクリとも動きません。私の晴れ姿を誰よりも楽しみにしていた母のことを想うと、何もしてあげられないもどかしさから、初めてのお酒でしたが浴びるように飲みました。
その後、母はなんとか命は取り留めたものの、左半身と言葉が不自由になってしまいました。
戦後すぐに生まれた母は、社会にほとんど出ることなく、父と結婚し、嫁いでからはずっと主婦をしています。そのせいか、人一倍、家のことでの責任感が強く、いつも家族のために無理をして、高熱が出ても絶対に家事を休んだりすることはありませんでした。
いつも自分の事は二の次。自分の健康面は気にかけず、家族を一番に考えてくれていました。そんな母の唯一の楽しみは「食べること」だったと思います。
後から知ったことですが、母は常に「血圧」が高い状態だったそうです。小さい頃に祖母から「母ちゃんをあんまり困らせると、いつか本当に倒れるよ!」とよく言われていました。その時は、幼い私を黙らせるための口実であって、「母が倒れるなんて、ある訳がない」と本気で思っていました。
しかし、今、目の前にいる私の母は、左側の体が麻痺して、うまく体が動かせない状態です。一年以上入院し、はじめは歩くこともできませんでしたが、持ち前の頑張りで苦しいリハビリに耐え、自宅に戻って何とか一人でも生活できるまでには回復しました。
私が一番ショックだったことは、母が料理をまともにできなくなったことです。退院後、はじめは頑張って料理を作ってくれていました。しかし、その料理は今までのものと全く違う味でした。家族はそのことを誰一人口にはしませんでしたが、母自身が一番分かっていたようで、次第に料理を作らなくなり、今では父が作るようになっています。
私は、小さい頃から母が作る「麻婆豆腐」が大好きでした。今になっては、それが、もう一生食べられないと思うと、涙が出てくることがあります。
母の入院中、部屋を整理していた時、押入れの中から高価な健康食品が大量に出てきました。思い返すと、倒れる直前の年末に帰省した際、母はいつも以上にだるそうにしていました。
母のことなので、体のきつさがピークになり、自分でなんとかしようと大量に健康食品を買い込んだのでしょう。きっと家族に心配をかけたくなったのだと思います。
私は、その何も役に立たなかった大量の健康食品を見て「なにが、健康食品だ!」とそれらを全て処分しました。
母も徐々に元気を取り戻してきた頃、私の方は、波乱の社会人生活のスタートでした。
これからは母に心配かけないようしっかり頑張るぞと思っていた矢先、入社三ヶ月で会社が倒産してしまいました。
多くの社員、パートさんが路頭に迷っていた時、倒産した会社を買い取ってくれるという会社が現れ、実はそれが今のふくふく本舗の親会社だったのです。
私は健康食品に対して悪いイメージしか持っていなかったので、こんな会社には行かない!と決めていました。しかし、その会社に行くという同僚も多くおり、同僚の誘いで一度だけならと会社説明を受けにふくふく本舗を訪れたのです。
訪問した際、非常に印象に残ったことがあります。それは働いている社員さんたちの表情がとても「イキイキ」としていたことです。母のことや仕事のことで落ち込んでいる私にとって、楽しそうにイキイキと働く社員さんの表情が頭から離れません。
その日は、一晩中、そのことが気にかかり全く眠ることができませんでした。
一週間後、私は再びふくふく本舗を訪れました。対応してくれた当時の課長に「なぜそんなに楽しそうに仕事ができるのですか?」と思い切って質問をぶつけました。
課長は「ちょっと待ってね。」と言って大きなダンボールを両手に抱え持ってきました。そして「これが、その理由です。」と言って見せてくれました。
そこには、沢山の「お客様からのお喜びのお声、お手紙」が大切に保管されていました。「だるさがなくなった!」「数値が下がっている」「ふくふくさんのおかげです」沢山のお手紙を見て、正直、頭を殴られたような衝撃でした。
健康食品は「イカサマ」とおもっていましたから尚のことでした。課長をはじめ社員さんたちは、それらのお手紙をとても誇りに思っていました。「ふくふく本舗」は私の思っている健康食品の会社と全く違っていました。本当にお客様に喜ばれている商品があるんだ!本当に効いてるんだ!しっかり数値に現れている!素直にそんなことに感動しました。
そして、私は「ふくふく本舗」に入社することを決意したのです。
入社して最初は「コールセンター」業務でした。お客様と応対するために、まず取り組んだのは、全ての商品に、なぜそのような効果があるのかを徹底的に勉強することでした。
また、残念ながら、健康食品はお薬ではないので、数値として現れはじめるのは、およそ6ヶ月かかるということも統計から分かりました。
時間はかかるものの、続けることが効果を実感できる近道であり、続けることが、お客様の喜びになっているということが分かりました。
しかし、私の母がそうだったように、お客様の多くは、健康食品に「即効性」を期待する方が多いようです。
「続けることの大切さ」を「即効性」を求めるお客様に伝えることは非常に難しく、なぜ伝わらないのだろうと悔しい気持ちでいっぱいでした。
入社当初は「これ以上悪くなってほしくない」という思いを伝えれば伝える程、「余計なお世話だ」や時には「騙された」とさえ言われたこともありました。
それでも私はお客様の健康のためにと、誠意を持って「続けることの大切さ」を伝えることを頑張りました。母のエピソードを交えながら伝えていくうちに、少しづつ心を開いてくださるお客様が増え「眞子さん、あなたのおかげで良くなったよ!」「これからもずっと続けるね!」と言ってもらえるようになってきたのです。
今では、こんな私にもたくさんの喜びの声が毎日届くようになり、おかげさまで「ふくふく本舗」は全国七万人のお客様にご愛顧いただけるまでになりました。
最近思うことがあります。
母が倒れる前に、“本物の健康食品”を飲ませてあげられていたらなぁと。
健康食品は薬とは違い、なかなか体感が出にくい。体感が出にくいから、「焦り」が出る。焦りが出るから、続けられない。
多くの人がそのような、当時の母と同じジレンマに陥っているように思います。母の「血圧」が高いというサインに気づき、一緒に数値を下げれられるように支えてあげられていたらなぁと思い返します。
ですから、ふくふく本舗は、お客様の不安が解消できるまで、とことんお付き合いができるようになりたいと思っております。
そのために、新たな取り組みとして、お電話でカウンセリングができるようにと「健康管理士」という資格を取得いたしました。健康管理士とは「予防医学」と「健康管理」をアドバイスするスペシャリストの資格です。
続けることは難しい。でも「誰か」と一緒なら続けられる。その「誰か」に「私たちはなりたい!」お客様と一生お付き合いができる健康食品会社でありたいと思っています。
私の使命は、母と同年代の方々に健康の大切さを伝えていくことだと感じております。
私も結婚し、子どもも産まれ、自分の孫を目にした母が「本当に生きててよかった!この子たちに会えたから。」と涙を流して喜んでくれました。
今まで頑張ってきたこの世代の方々に、できるだけ多くの喜びを今後も味わってもらうためにも、健康であり続けてほしいと思います。
「健康は一日にして成らず」
日頃の積み重ねが大切です。十年後のあなた様の健康への積み重ねをお手伝いできたら何より幸せなことだと思います。
大変お忙しいところ、最後までお目を通し頂き、本当にありがとうございました。心より厚く御礼申し上げます。
末筆ながら、あなた様のご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げます。
ふくふく本舗 リーダー 眞子健太